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アクセスアップへの道 改定途中版

このページは、
パソコン購入からホームページ作り、
検索エンジン登録と

現在にいたるまでの履歴のつもりです。
こちらは、自動スクロールします

私のノスタルジア > うるさかったら■で消してね(効果音のつもりです)

平成12年正月元旦


          今年こそ、「パソコンを「買うぞ!!」 、、、、、、、、、と、願をかけた。


本屋さんの棚に鎮座しているパソコン雑誌の山を左端から右へ一通り読んでから1冊買うことに決めて本屋さんに通い始めた。



パソコンの機種を何にするか、迷いに迷っていた。


先立つ物の少ない私にとっては、パソコンなんて安易に買える代物ではなかった。
なにせ、小遣いから爪に火を灯して貯めたお金。
それで無くとも逃げ足の速いお足の事。


とても衝動買いなど出来る訳がない。


だから、「10冊読んで一冊買う」、を実行した。(それでも買わない時が有ったかな?)
































ホームページ作りでしてはいけない事


    横スクロール


    縦スクロールは、 1.5ページから2ページ程度 だそうだ!!







昔、オーディオにコリ


それも真空管。
毎週休みになると、
秋葉原に通い、
部品を集めてアンプを作り、
スピーカボックスまで作った。


その前は、ハムに凝っていてJH1DUAで毎夜出没していた。(16、7歳の子供の頃かな)
      ※1        ※2
※1:食べるハムではありません。アマチュア無線を楽しむ事。
※2:コールサインの事。(ネットで調べてみて下さい。)


その前は、コスチュームに凝り、←これはウソ  <m(__)m>



余談だが、
50Mのトランシーバを作ったつもりがFMラジオ局が聞えてきてビックリしたことを覚えている。


また、
免許の無いころの時効になった話しだが、
10W位の送信機を作り電波を飛ばすと近所の家のテレビの画像に縞々模様が表れるので、これで電波がでている事を確認したり、強引に割り込んで(「ブレーク、ブレーク」、などと言っては、相手の話しの合間に送信する)話しに入り込んだり(コールサインが無いので直ぐに逃げる)していた。


昔の話だが、
お酒飲んでいれば、どんな事でも許された時代が有ったもんね。
大らかでノンビリしてたんだね。
今じゃ、即、免停かな。


歩きタバコだって罰金もんだもんなッ。


でも、少年の頃とは言い、やってはいけない事でした。






ゴメンナサイ!























パソコンの話







パソコン・メーカから始まり機種の選定をし、
「スピードがどうの」、
「ハードデスクがどうの」、
「CD−Rはどうの」、と、
それはそれで楽しくも有ったが悩む日が続いた。


勿論、パソコンショップも休日の度に通った。


横浜ランドマーク・タワー内のソーテックは、
高層ビルに店舗を構えているので、
景色も良く数回はお邪魔したかと思う。


「安い」と言う評判だったので、他のメーカーと比べるのが目的で出かけてみた。


デザインはイマイチだったが安い事は安かった。


結局、買わなかったのだが、
その理由は、CRT画面が????だったこと。
(店舗のモニターが悪すぎた)


その当時、
トリニトロンやダイヤトロンのCRTはとても綺麗に映り、
その他の方式では、
イマイチだったと思う。(今でもそうだと思うのだが)


CRTなんぞ、’03,11月現在殆ど無いもんね!!
液晶が主流、
シャープさんなんか、
全て液晶デスプレーにするぞ!!
と宣言してるみたいだけど。


その綺麗なトリニトロン方式のCRTが一番人気なのだが、
(ダイヤトロンは、トリニトロン方式なの?)


売り切れだった。


一月とか二月とか待たなければならないとの事だったので、、、、。




そんな訳で、ソーテックは没になった。
















自作機の魅力


4月の初めにお金のメドも付き、10万円以下の機種選定に入った。

自作も考えたのだが、結構高くつくので断念した。


余談だが、
昔々、マイコンを自作した事が有った。
     ※

※その当時は、パソコンでは無くマイコンと呼んでいた。


決して現在の「自作」、とは大違いで、
ボードと周辺機器を購入して電源入りのケースに収めて規格のコードで繋ぐだけの物ではなかった。


ユニバーサルボードにソケットを取り付けて、一本、一本、ラッピング配線する。


毎日、
会社が終わると真っ直ぐ家に帰って、
ご飯もそこそこに自前の設計図を頼りに「一本、また一本」、
と配線してゆくのだった。


もう、毎日が、修行僧のような気持ちで配線していた事を覚えている。


座禅を組んで瞑想に耽る時も、日常の事柄で夢中になる時でも、
もしかしたら同じような効果が期待できるんだろうなぁ〜っ



と、私は思っている。






動作するかどうかは、
当たり前の話し、
ソフトを入れてみなければ判らなかった。


電気屋の間では、
「マイコンもソフト無ければ唯の箱」
「ソフト、ソフトと言うけれどハード無ければ唯の紙」
等と言い合っては、楽しんでいた。(苦し紛れの楽しみだったんだけどね)


その当時、Z80が全盛だったのだが、
CPU界にモトローラ社のMC6809と言う、68系のスッキリ綺麗な命令体系を持った、
MPUと呼ばせたCPUが出てきていた。
惚れ惚れするような、
人間で言えば「非の打ち所の無い絶世の美人」、と言った所だろうか?



その前に










フィアチィルド社のF8と言うCPUでマイコン・ボードを作った事が有った。
このCPUは、後にコケマクルのだが、
とてもユニークな構成だった。
ハードが簡単で作りやすいのが特徴で
ソフトを組むには、
HP社製のコンピュータを借りたり、
ハンドアセンブラでシコシコ組んだりしていた。(何故かとっても昔のような気がする)
      ※

※マイコンのアセンブラ※を使わずに機械語で書き込むこと。(これ以上の説明は止めます。)


で、MC6809なのだが、
この頃には、富士通のFM8と言うパソコンを持っていたので、
独学でのソフト学習に限界を感じて渋谷駅近くの富士通系の教室に通った。
この教室は、ソフト会社が運営していて教育マニュアルも出来ていた。


言語は、アセンブラだった。


マイコンに添付されていたBASIC言語を使って毎夜、ソフトを組んだ。
記録媒体は、カセットテープ。
夜な夜な、作ったソフトは、カセットデッキを使ってテープに記憶した。
マイコンの電源を落とせば書いたソフトは消えてしまうので、
この作業を鎮座するマイコンに最初と最後に行わなければならなかった。
30分も掛けてこの作業をしなければ後にも先にも進めない。
この間、ご飯を食べ、トイレに行き、風呂にも入れる時間が有った。


しかし、最後の最後に、


無常にも、、、、、、。


ぴーーーーーっ


と言う警告音が、


画面には、 ERR! が出てお終い。


再度、チャレンジしなければならなかった。


雑誌では、カセットメーカーのエラー率が載っていた。





BASIC言語は、簡単で初心者向き、
ソフトを組んでは、動かして検証すれば出来上がる。
GO TO文を多用したりしてね。
この方法は、本当はダメなんですけど。


で、毎夜、組んだBASICのソフトなのだが、
有る日突然、マイコンがキーボード入力を受付なくなった。
メモリオーバーが原因だった。


フロッピーデスクは、その後、毎度、毎度のピーッと言う警告音に絶えかねて購入した。

高かった。
記憶では、12万円以上はしたかと思った。(あまりにもショックで忘れた)

5インチのフロッピーデスクは、快適だった。


※現在、フロッピーデスクの無いパソコンの方が主流だ。


  「フロッピーデスク」などと言う言葉さい、知らない世代になってきたのかもしれない。
  その当時、8インチが主流、5インチのフロッピー全盛時代に入ろうとしていた。
  雑誌の付録にフロッピーデスクが付いてくるのは、
  この後になる。



アセンブラも購入した。


快適だった。


これで、自作マイコンも動かせる。



トラ技に載っていたROMライタも作った。



32KBまでだが、切り替えて64KBまで書ける様に改造した。

快適だった。



実は、
内緒だが、
仕事で、
このアセンブラとロムライタを使って製品化した事があった。


今だかって苦情も無いところを見ると、正常に動作しているものと思っている。


余談が長すぎたかもしれない。




それから


プリンター



音が大きかった!!


そして高かった。
10万円以上はしたかもしれない。
それから重かった。

夜中の印刷は、特に気を使ったなぁ〜。



防音ケースまで売っていた。


















話しは、「元に戻した方が良いかもしれない」。と気がついた。










その前に
もう少し、余談が続く。

ココまで、我慢して読んでくれたんだから、もう少しの辛抱だ。
「取って置きの話」、でもないんだけどね。


行く先々で、クラブを作っていた。


部活だ!!


学校では、アマチュア無線クラブだった。
(先輩のオーディオクラブを潰して)

就職すると、なぜか写真部だった。
会社からクラブ費をセビリ、焼増機も買った。


とある所では、アマチュア無線クラブは、終ぞ作れなかった。
それは、秘密!!


それから、ある村では、スキークラブを作った。
勿論、村から補助も頂いた。
村のスキー部として今も残っているらしい。
(最後は、顧問になっていた)


クラブ作りの最後は、テニスクラブだ。
有志が5人。
クラブ員も30人位には、なっただろうか?。
6年位は続いたように記憶している。


クラブ作りは、規約作りから始めていた。
「根が真面目な性格」だからだと本人は思っている。けど?
(規約は、今でも持っているんだ。何故か捨てられないでいる。)


ところが、マイコンクラブもパソコンクラブも作っていない。
マイコン時代は、同年代の人が回りに居なかったのと仕事で本職。
クラブどころじゃなかったのだろうと思っている。今思えばね。


パソコンクラブは、作れなかった。
寂しい!
おじさんは!


でも作っていれば、今ごろ ⇒⇒ ハッカー かも


細かくて難しい事には、頭も目も就いて行けないお年頃になっている。


その割には、口だけは達者になっているもんね。















唐突に話は戻って


多少、ハードの心得も有りそうな気がしていたので、「ここは一つ自分で組み立ててやろう!」、
と思ったのだが、


自作は割高になるのでフトコロが寂しくてとてもじゃないが手が出せなかった。


それでも諦め切れずに探した機種が、その物ズバリの自作機だった。



これは、ゲートウエイと言うアメリカのメーカーで、
自作派志向のパソコン・オタクが喜びそうなスペックだった。


雑誌の内容だけで買うことを決心して電話した。





5月の連休には間に合いそうなので、休みの間はパソコン三昧になる筈だった。


連休日の一日前には、自作機本体も届き、
ソフマップから購入していた17インチのCRTに接続することになった。


「面倒かも」と、覚悟していた組み立ても難なく終わり、マニュアルの良さに感激したりもしたが、。


印刷物のマウスの絵と送られて来たマウスと違うのでどうしたものか迷った程度で何とかなってしまった。
(このマウスの違いは、後に雑誌でも話題になった。)



電源を入れ、Win 98SEのOSをインストールした。


ケチは、この後から始まった。


インストールはしたものの画面が、、、、、、、とにかく汚かった。


綺麗に映る筈の画面は、とても観られたものではなかった。



CRTのドライバーを入れなければ始まらないが、そのドライバーの場所が見つからない。


マニュアルどおりの操作をしてもドライバーはインストールされなかった。


焦りにアセッタ!

添付されていたCDの中身を覗いて「REDME」を開いては確認するのだが、なかなか見つからなかった。


ほどなく連休に突入し、家族は学校や仕事に行ってしまった。
一人、パソコンに向かい、CRTドライバーを探すことになった。


もちろんゲートウェイのサポートセンターに電話しているのだが、まったく繋がらない。
電話が600型の旧式でダイヤル式、それも10PPS、リダイヤルなんて在る訳も無い。
「お待ちください。」が長すぎる。30分、1時間、延々と続き、プツリと切れる。
丸い穴に指差してグリグリ廻し続けた。この行為を一日中やっていた。


受話器を持つ手が震いだし、肩が凝り眼は、うつろ。


「これはたまらん!」、と考えただしたのが、受話音声を拡大してスピーカに流すことだった。
これは、とっても良いアイデアだった。


急場しのぎの拡声器からは、待ちうけ中のメロディーが大きく聞こえてきた。


これなら、


食事をしていても風呂に入っていても相手が繋がるまで他の事ができた。


それでも、そんな事を二日も続けたが一向に繋がる気配が無かった。


三日目が過ぎようとしていた。


その日は、皆で小旅行に出かける日で、夕暮れ時を向かえていた。
パソコンの置かれている部屋は [書斎]
実は物置のスミ、とても暗かった。
電話のコードが短くて届かない。
有りっ丈の線を繋ぎ合わせてなんとか [書斎]に引いた運動会のゴールテープ状態のコードを外れないように気配りしながら繋がる事を祈るばかりだった。
殆ど諦めていた。


帰って来てから、また始めようか迷いながら受話器を戻した。


でも、もしかしたら繋がるかもしれないと思い、もう一度掛けなおした。


何故か無音だった。


「エッ」、と思った。



この    間    が 怖かった。



が、


受話器から聞こえてきたのは、テープに録音された「お待ち下さい」の声ではなく、


はっきりした女性の声だった。


「どうされましたか?」


だったようなきがしたが、ハッキリ覚えてはいない。


天使の声だった。


女神だった。


本当は、一言文句も有るのだろうが、その時には、ここで電話が切れてしまったら、
もう一生電話が掛からないのではないかと想い、思った。


今までのウップンは、飲み込んで。


いや、


その時には、もう電話が掛かった事だけで大満足だったので、
すっかり飛んでいってしまっていたのかもしれない。


とにかく、CRT画面のドライバーのインストール方法を聞きだすべく気持ちを集中した。




天使は歌った。


「マニュアルのミスですみませ〜ん。」


画面から懇切丁寧に奥のフォルダーまで導いてくれて呆気なくインストールが済んでしまった。


ハーッ


もうやる事は、再起動だけ。


立ち上がるのが待ち遠しかった。


綺麗な画面が現れた。


私は、天使に感謝した。


「ありがとう!」


天使は去っていった。


周りはすっかり暗くなっていた。


小旅行の準備がまっていた。


「心が躍るって、こんな事なんだなぁ〜っ」


と改めて思い直した。とても充実感が有った。










パソコンとのお付き合いが始まった。


儀式のようなパソコンの立ち上げが済み、「さて今日は何から始めようか?」、とニンマリする。
目的を持って購入したつもりのパソコンもイジッテ見れば、機能がチンドン屋。
どこをクリックしても「ナンジャコラ」状態。
とにかく付属のメニューがワンサカでクリックしたところが「今日のお遊び」になった。


特にハマッタのが、音楽ソフト。
ナントカバスターとか言うアチラ製の音楽ソフトで、色々な音の細工ができる。
そこで、雑誌に付いて来たフリーの音楽ソフトで作曲までしてしまった。


次から次へとフリーのソフトを入れては、シャカシャカ動作せては遊び呆けていた。


これは、りっぱな大人玩具じゃないか。
こんなに奥が深くて遊び甲斐の有る玩具はいまだ勝手お目にかかったことがなかった。


さっきはできたことも次にやろうとすると出来なかった。
なぜ出来てしまったのかも解らなかった。
もう二度と出来ないのではないかと不安になった。


実は、
殆どマニュアルを読まずに行き当たりバッタリで動かしてしまう。
何とか成るもんだ。
それでも
何とも成らない時がある。
そんな時になって初めてマニュアルを読んだ。
とても肩がこった。


誰かに聞くにも、質問の仕方も判らなかった状態が続く。
それでも何とか成るもんだ。


慣れるよりなれろ!!


そんな気概でキーを叩いていた。


昔、

5月、6月、7月、


殆どパソコン三昧とまではいかなかったが、そこそこにいじくり廻しては遊んでいた。


6月には、プロパイダの契約も終わり、メールもできていた。



真の目的だったパソコン導入。


「株価を何時でも見れること」が本当の理由なはず。


2万円で買ってきた株式関連のソフトは、遺憾なく発揮し、毎日変わる株価を無料でアップロードできた。




8月の終わりの声を聞いたころ


パン教室の話が有った。

「それならホームページでも作るか」


と、


気楽に考えて作り始めてしまった。
シマッタと思った。
それから悪戦苦闘の日々が続くことになった。

9月の声を聞くころには、


一枚のホームページが出来上がった。
地図も描いた。
全てが、無料のソフトでだった。
九月も終わろうとする夜中に最初のホームページをアップロードした。


嬉しかった。


会社で覗いてみた。


ガッカリシタ。


でも満足だった。















平成12年10月1日


ディサービス華からのお誘いで始めることになったパン教室、
生徒さん集めにホームページを立ち上げた。




このとき、玩具のデジカメを購入、結構活躍してくれた。


この頃、トップ・ページを「ぱんだらけ」と命名していた。
名付けの由来は、渋谷に在る、かの有名な「曼荼羅毛」と言う古本屋さんからもじったもの。ハマル漢字が見つからず平仮名で ” ぱんだらけ ” にした。


 ※ 現在、 ぱんだらけ を屋号にしている。




平成12年11月某日


HTMLだけでは、自分の腕を考えて、この先まともなページを作るのに何年掛かるか判らない。
そんな訳で、無料のホームページ作成ソフトFrontPage 98(マイクロソフト社)を雑誌から入手、
文法を知らなくてもこれで一気にページが良くなると思ったのだが、、、、、、。

ページ一枚UP   ⇒ ディサービス華のご案内

    過去の画像は、こちらをクリック
             デサービス華 ⇒ 過去の画像
             ひだまりの家 ⇒ 過去の画像

平成12年12月某日


一日に10人程度の訪問者、コリャマズイと、、、、。
大手四つの検索エンジンに登録したのだが、
かの有名な一発太郎にも挑戦!!
アクセス数が多くて繋がらず、
朝4時から初めて5時間の悪戦苦闘の末、
なんとか主だった検索エンジンに登録終了した。

この頃は、アナログ回線だったので接続料がとても怖かった。

平成13年正月


この年、正月休みは、パソコン三昧となった。
30クリック数にアップ、本人としては喜んでいたのだが。
某雑誌で50以下は「ゴミページだ!」と書いたのを見て


       ショック!!


目標を50以上に置いて、アクセスアップの本を読み漁った。

平成13年2月某日


雑誌お勧めNO.1のホームページ・ビルダを購入した。
『これで立派なページができるかも知れない』。などと、一時期、夢を見せて貰った。

自動登録ソフトを購入し、約300の検索エンジンに登録した。(Ezay登録
当然だが、アクセスアップのためだった。
何度もソフマップに足を運び見つけたソフトがこれ(Ezay登録)だった。
お金がないので次の月までソフト棚の裏に(Ezay登録)を隠して置いた。
   誰かに取られないようにシッカリ確保したつもりだった。
ゴメンナサイ!!  ソフマップさん

また、よせば良いのにメルマガ一括登録サイトで無料の登録をお願いした。

      後ほどひどい目に遭う羽目になったのだが。




旅行に行っていて


12日間メールを開かなかったら、優に800通のメルマガが怒涛の如くパソコンに雪崩れ込んできた。


              カンベンしてくれーっ















平成13年3月某日

メルマガが日増しに増えてくる。
ホームページのカウントも50を超えたが、メルマガも毎日50を優に超えて届けられた。
メルマガの効果なのか、はたまた検索エンジンの効果なのか、この50の数値は、判別できなかった。
メルマガを上から下まで、当ページ掲載のチェックをするのだが、その数多くて、毎日、泣き泣きチェックしたのを覚えている。

 余 談
 力の有るメルマガに掲載されれば、20カウント位が上がった様な気がした。
(あくまでも「気が」ですけど)




平成13年4月某日

メルマガを毎日開き、当ホームページが掲載されている事を確かめる日が延々と続いた。
後で知ったのだが一回も掲載しないメルマガも有るらしい。(そりゃサギだろう!!)
殆どが、一度の掲載で半永続的にメルマガ購読の義務が生じるらしい。
大手のメルマガなどは、一年に一度か二度の掲載依頼しかできないとの事。
その間、通常、二日に一度のペースでメルマガが延々と続くのには参った。



      この頃、もう完全に降参寸前だった!

平成13年5月某日


一度の掲載でどの程度のアクセスがあるのだろうか。
ハッキリした数値は取れなかったのだが、メルマガの発行部数やメルマガの読者層でも可也の違いがありそうだっだ。
この頃になると日に80〜100通ほどのメルマガが届く様になり、毎日、全てを開いて確認する訳にもいかなくなってきた。
では届いてしまった「メルマガの処分は?」、と質問されれば、
「バッサリと削除するだけ」
「削除済みアイテム」の中の削除されたメールを更に削除するだけ。
これだけでの作業でも パソコンがダンマリを決め込んで 冷や汗もの ハングアップ?


と、


何度思ったことか。

平成13年6月某日

巷では、ADSLの話題で持ちきり、雑誌を読み漁った。

激化しそうな予感、ADSLの弊害まで出る始末、値段を下げての殴り込みに叩かれるYahoo、ADSL先進国の韓国よりも安い。
これで電話回線を独占し家族に迷惑をかけなくてすむし、第一に接続料が安くなるはずだった。

この頃、アクセス数も80〜100位に

平成13年7月某日

コンテンツが貧弱で訪れて来る方に対し大変申し訳無いと思っていた。

何とかせねば、、、。

             と言う事で思い付いたのが「リンク」する事だった。

 (早い話が人のフンドシで相撲を取るようなものかな?)

ページを作っていて気づいたのだが、
個人で教室をされている方は、それだけでも忙しいはず。
当ホームページは教室担当とページ作り担当に分けているのでページ作りに専念できるはず。(でも無いが)

そんな訳で特にリキを入れたのが全国の教室のリンク集を作る事。
最初は、検索エンジンに「パン教室」と入力して検索ボタンをクリックしていた。
リンク登録を前面に押し出して再登録した。

それでも

   アクセスは80〜100程度と変わらなかった。

平成13年8月某日

今年度100万人のうたい文句、ADSL開通の夢を見ていたのだが。本契約になったのがこの月、
そして、これから、ジクジクする思いが延々と続く。
(この部分は書かない、、、。いや書けない)国の対応もひどいものだが、
先駆者は常に茨の道、(Yahooさんに肩入れ)

平成13年9月某日

いよいよ、Yahooに申し込みする事になった。

その理由は、値下げ戦争を起こしてくれた事。

(こんな戦争ならドンドンやるべし、その後、競って他プロパイダが安売りに参加)

Yahooに敬意を表して仮申し込みをしたはずがどうもうまく行かない。

なにせ56K(実際は48K位のデータ転送)のアナログ回線、接続料を気にしてのトライなので画面からではなかなからちがあかない。

シッカリYahooの本が出ていた。購入して再トライ。

(某yでは、雑誌を出していた。口の悪い人は「某yの宣伝雑誌を売っているワイッ」、
とのご批判。確かに!!)

平成13年10月某日

望みのありそうなメールがくるのだが、それも何時の開通かは、まったく知らされることがなかった。
結局、大都会の横浜なんだから瞬時に開通してもよさそうなものだが、
ここ、保土ヶ谷(横浜の田舎)の局では、神奈川のもっと田舎(失礼)よりもランク(開通順)が圧倒的に後の方だった。
この事実には愕然としてしまった。
このまま行くと正月休みのネット三昧はお預けになってしまいそうな気がしてきた。

平成13年11月某日

毎日がウンザリだ。
まだ、56Kアナログ回線で膨大なメルマを取り込み、削除する日が続く。
ページのレイアウトに凝り、変更しては頻繁にアップ。
接続料が5000円以上になる月もあった。この頃になると100を越すメルマガが届く様になる、、、、こともあった。
どうしたんだYahoo。
この月になっても開通のカの字も届いてこなかった。
新たに設けられたADSLの進捗状況ページを覗く日が続く。
周りの局が開通する中、我が局は、取り残された様子。
この頃、Yahooの批判が噴出、解約する人も続出、しかし、解約ページが無いと大騒ぎ、何度も解約する気になったことか。
でも我慢、初心貫徹???

平成13年12月某日

完全に砕けてしまった。
正月のネット三昧。コノころになると情報はグジャグャでどうでもよくなってきた。
他のプロパイダに乗り換える気力も無くなった。
ただひたすら朗報メールが届くのを待つだけになった。

      ヤフーヨコイ ハーヤクコイ!

平成14年1月某日

年越しするとは思わなかった。信じられなかった。
ダイヤル・アップで5000円だった費用が3000円一寸で済むはずだった。
それも使い放題。
だれでも経験したかと思うのだが、ダイヤル・アップで繋いでいると意外と電話を掛けていて家族に迷惑を掛けている時がある。
普段なら電話など無いのだが、ネットに繋いでいる時に限って掛けてくるものだ。
一度や二度ではないので、誤って済む問題では無くなった事も有った。
正月などは、電話も多いのでネット三昧などは、絶対に「イケナイ事」だった。




平成14年2月某日

ADSL開通のお知らせが届いた。
終に来た。
後は、モデム等の機材が届けば開通。
待ったかいが有った。
そして機材が届いた。
「変なものが届いてるよ!」と、家族が言った。
なんと言う恐ろしいことを。
「変な物?」。

私は相手にせず、荷物を紐解いた。
モデムだった。
スプリッタも有った。
LANケーブルも有った。
短い!!!
最初から20mケーブルを購入していた。(結構、賢い自分だと思った)
また、LANカードがないのでネットで買っていた。
「どんなにか難しいのだろう」と、覚悟をしていたのだが、簡単に接続できて簡単にネットに繋がってしまった。
でもこの後の愕然としたスピード、50kbpsだよ! アナログより遅いじゃないか!!
                           俺は泣いた。
局からの距離を測定していたので、「もしや?」、と思ったのだが4.7Kmで8Mで繋がることがラッキーなのかもしれない。


実は、昨年の8月頃からブロードバンド関連の雑誌を山ほど買い込み毎日読み漁っていた。
(同じような内容だけどね)結構、お金の無駄遣いをした訳だ。
.
馬鹿だね!!


ADSLにしてからは、毎日が、スピードアップに明け暮れた。
雑誌の無料スピードアップ関連の本を読み漁り、
スピードアップの無料ソフトで設定したり、
やれ、LANケーブルが悪いのだとか、
モデムの近くにテレビだの
電気機器が有るのだの
電気コードが、どうのこうの
モデムを冷やせだの
時々、電気を切れだの
スプリッタが良いの悪いのだの
Win98SEは、スピード回線向きではないのだの
だから設定が必要だの


けっ


ADSLは、単に距離が遠ければスピードが出なくなるだけかよ!!
4.7Kmで繋がればラッキーッなんだ。


それでも


少しずつ早くなっていた。
Yahooでは、躍起になってスピード調整をしていたらしい。
150Kbps位になってくると物凄く早くなったような気がしてくるから不思議だった。
(そりゃ、50Kbpsから比べりゃね)
それでもNTTの一押しISDN専用回線から比べりゃ早くてしかも安いしね。


日によって
時間によっては、250Kbps位になる時もあった。

平成14年3月〜



ちょと、
いや、かなり遅い。
思ったより、随分遅かったが、
これで弾みが付いた。
何より、ホームページ作りの意欲が、沸々と湧いてきた。
もともとリンク集を作る方針は、固まっていたのだが、
アナログ回線では、おのずと限度が有った。
主だった、有名なホームページをお持ちの方は、
既にISDNにしているらしかった。


リンク集を作るには、
先ずは検索エンジンから、教室を探し出さなければならない。
繋ぎ放題のADSLは、涙がでるほど効率が良かった。
何とかお教室リンクの数も増えて格好が付くページが出来上がってきていた。

〜から



ページの数が増えると
ページをたどり易くしたくなった。
それから

デザインも良くしてみたくなった。
殆ど絵心の無い自分にとっては、
一番シンドイ課題になってしまった。


ホームページ作りは、真似から始まる。
その真似もできないくらいのスキル!!


それなら

できるスキルで挑戦するしかない。
スキルは、そのうち付いて来るだろう。

平成15年6月ころ

6月7日(土曜日)、近くにオープンしたホームセンタを見に行った。
先に購入していたトマトの苗木の肥料を買うつもりでいたのだが、センター内を探索しているとワットマンと言う電気屋さんが有った。
掘り出し物を探しついでに寄ってみたのだが、頭から離れられなかった「より安くより早く」
繋がりそうなプロパイダーを見つけてしまった。
以前から目を付けていたプロパイダだった。
本の知識だけだが、4.7Kmもの距離が有れば、8MbpsのADSLでは、繋がっているのも軌跡奇跡。
12Mbpsも出始めていてCMも盛んだったので「12Mbpsにすればチョットはマシなスピードになるかな?」、
などとも考えたのだが、おじさんは、人生経験が豊富なのでダマされはしなかった。

接続料が安くてスピードが少しでもアップするなら契約変更する面倒などいとわなかった。


契約書に必要事項を記入し終わったころには、3000円の商品券のことなどすっかり忘れていた。






待ち遠しかった。






平成15年6月23日
ついにt-comプロパイダが繋がった。
「24日開通」の連絡だったが試しにプラウザの設定をして見たところ、今までならプラウザが真っ白でその後の画面が出てこないのだが、この時はジワジワと絵が表れて来て唖然としてしまった。
以前のページが表示されたのだとばかり思っていたのだが、ページの中のリンクをクリックすると
真新しいページがスパット!!表示されたのだった。



嬉しかった。



早いと感じた。



早速、スピードテストに取り掛かった。


お気に入りなスピードテスト・ページが有ったので計ってみた。



は、は、は、早い!!!!!!!!!


なんと   750Kbps   では内科ないか!!!

今までなら 300〜450Kbpsだったのが、倍近いスピードになっていた。


後は、アップのスピードかな?


ブックマークしてね!!

検索エンジンに登録したり、メルマガに掲載したもらったりすると、

☆彡 ご登録ありがとうございます ☆ミ
「できましたら 
※ ブックマークお願い致します ※
強制では、ないんですけど」


などとメールが届くことが有る。


実は、この[ブックマーク]の意味を知らず、
如何したもんか右往左往してしまったことがあった。(一応過去形)
「検索エンジンで調べれば良いではないか」と思うだろうが、
その方法さえ知らないのが初心者なんだ。


まあ、
その人だった時期も有ったんだなぁ〜っ
それでも、
今では、
検索エンジンは使えるけど、「コナセル」まではなぁ。


パソコンにブックマークねーっ

んーっ

わかんねーーーーっ

メールを送る方でも
「どこどこのナニナニをああしてコウシテ」とも書けなかったんだろうけど。



最近、[お気に入りに追加]ボタンをページに付けた。
付ける方法を「ヨウヤク知った」と書くのが正しいのかな。


この方法も「アクセスアップにつながれば」、との想いで付けたんだけど?


「お気に入りに追加」ボタンを付けるには、随分と勇気が要った。


チョット、


いや、かなり恥ずかしい。


「お気に入りしてくれる程のページでもないのに[お気に入り]でもないよなぁ」

でも
ここは、勇気をだして付けてしまった。


これも見方を変えれば、
「お気に入りしてもらえる、そんなページにするぞ!!」
と心意気を示す行為そのものでした。
ハイッ


2004.11.6

随分、更新しなかったなぁ〜っ

この間、手抜きしていた訳ではない。

◆無料自動登録リンク集

も付けたし、

それなりに細かい更新や変更、修正はしていた。



相変わらず、ホームページのカウントは、上がらない。

上がらない理由もなんとなく解ってきた。

言い訳になってしまうのだが、多くのリピータを獲得できないコンテンツなのは確かでしょう。
また、検索の表示では、

「お教室」だけでも上位に表示されるし、「お教室情報」ならタイトルどうりなので最上位に表示する。

何故か「ケーキ教室」でも上位に表示されるのには驚いた。

「教室」だけだと20ページ目(Google)位には顔を出している。

「お菓子教室」でもなんとか1ページ(Google)に食い込んでいた。

このように目的の1〜3ページ内に表示されているので当初の目的は、確保した事になる。
後は、クリック数だけなのだが、コレが思うようにいかない。

現在、平均する一日当たりのクリック数は、150程度になっている。

4月と10月の前後一ヶ月は、150〜200近くまで上がる時が有る。

この現象も判るような気がする。



どうしてもダメなのがYahooへのカテゴリー登録。

五回程、間を置いてチャレンジしたが、結局ダメだった。

今では、ウェブ登録されていれば「良し」としている。

登録サイトは、Google始めgoo、Yahoo、AlltheWeb、infoseek、frehseye、Excite、MSN、BIGLOBE、nifty、ODN、OCNの主だった検索サイトで表示される。

かなりのサイトがGoogle検索を採用の結果なのだろうが、有りがたい。

Yahooも独自の検索を始めたのでカテゴリーでの登録がなくともシッカリとウェブ検索では、表示してくれる。

驚いたのでは、意外とgoo検索に表示されなかったのだが、最近、どうにか表示されるようになったのが嬉しい。



「お教室」を「教室」だけにしたタイトルにすれば、もっとクリック数が上がりそうな気もしている。

変更して減ってしまったら悲しいし、とても複雑だ。


一見のお客さんが「お教室」を探している時に訪れるサイトが、『お教室情報サイト」なので
リピータの集まるサイトには作られてはいない。
コンテンツからすると目的に有っているのだが、チョットさびしい。

仮にメルマガへの投稿や有料サイトへの掲載でクリック数が上がっても質の良いお客さんが、見てくれるとも限らない事も事実だ。

レシピを沢山掲載し、更新し続ければ、リピータが増える事は確かな事だが、リピータは、レシピを欲しがるだけで「お教室」の生徒さんになってくれる確立は少ない。


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