今年こそ
パソコンを買うぞ!!
、
、
、
、
と
願をかけた
平成12年正月元旦
本屋さんの棚に鎮座しているパソコン雑誌の山を左端から右へ
一通り読んでから1冊買うことに決めて本屋さんに通い始めた
パソコンの機種を何にするか、迷いに迷っていた
先立つ物の少ない私にとっては
パソコンなんて安易に買える代物ではなかった
なにせ、小遣いから爪に火を灯して貯めたお金
それで無くとも逃げ足の速いお足
とても衝動買いなど出来る訳がない
だから、「10冊読んで一冊買う」を決め込み
それでも買わない時が有ったかな?
昔、オーディオにコリ
それも真空管
毎週、休みになると
秋葉原に通い
部品を集めてアンプを作り
スピーカボックスまで作ったっけ
その前は、ハムに凝っていて毎夜出没していたっけ
そのまた前は、コスチュームに凝り
もちろん冗談
でも無いか(^^ゞ
余談だが
50Mのトランシーバを作ったつもりが
FMラジオ局が聞えてきてビックリしたことを覚えている
また、
免許を持たなかったころの時効になった話しだが
100W級の送信機を作り電波を飛ばすと
近所の家のテレビの画像に縞々模様が表れるので
これで電波がでている事を確認したり
強引に割り込んで(「ブレーク、ブレーク」、などと言っては
話しに入り込んだりしていたっけ
けど
コールサインが無いので何時も逃げの体制
すばしっこいのがとりえ
昔の話だが
お酒飲んでいれば
どんな事でも許された時代が有ったもんだ
大らかでノンビリしてたんだね
今じゃ、即、免停かな
歩きタバコだって罰金もんだもんなッ
でも
少年の頃とは言い
やってはいけない事でした
ゴメンナサイ!
パソコンの話
パソコン・メーカから始まり機種の選定
「スピードがどうの」
「ハードデスクがどうの」
「CD−Rはどうの」、と
それはそれで楽しくも有ったが悩み苦しむ日が続いた
勿論
パソコンショップも休日の度に通った
横浜ランドマーク・タワー内のソーテックは
高層ビルに店舗を構えているので
景色も良く数回はお邪魔したかと思う
「安い」と言う評判だったので
他のメーカーと比べるのが目的で出かけてみた
デザインはイマイチだったが安い事は安かった
結局、買わなかったのだが
その当時
トリニトロンやダイヤトロンのCRTはとても綺麗に映り
その他の方式では
イマイチだったと思う
CRTなんぞ、今現在殆ど無いもんね!!
液晶が主流
シャープさんなんか
全て液晶デスプレーにするぞ!!
と宣言してるみたいだけど
その綺麗なトリニトロン方式のCRTが一番人気なのだが
売り切れだった
自作機の魅力
4月の初めにお金のメドも付き、10万円以下の機種選定に入った
自作も考えたのだが
結構高くつくので断念した
余談だが
昔々、マイコンを自作した事が有ったっけ
その当時は、パソコンでは無くマイコンと呼んでいた
決して現在の「自作」、、、、とは、大違い
ボードと周辺機器を購入して
電源入りのケースに収めて規格のコードで繋ぐだけの物ではなかった
ユニバーサルボードにソケットを取り付けて
一本、一本、ラッピング配線する
毎日
毎日
会社が終わると真っ直ぐ家に帰って
毎日
毎日
飽きもせず
ご飯もそこそこに
自前の頼りない設計図で
「一本、また一本」
と
配線してゆくのだった
もう、毎日が
修行僧のような気持ちで
配線していた事を
私は
鮮明に覚えている
座禅を組んで瞑想に耽る時も
日常の事柄で夢中になる時でも
もしかしたら同じような効果が期待できるんだろうなぁ〜っ
と
私は思っている
動作するかどうかは
当たり前の話し
ソフトを入れてみなければ判らなかった
電気屋の間では
「マイコンもソフト無ければ唯の箱」
「ソフト、ソフトと言うけれどハード無ければ唯の紙」
等と言い合っては
楽しんでいた
苦し紛れの楽しみだったんだけどね
その当時
Z80が全盛だったのだが
CPU界にモトローラ社のMC6809と言う
68系のスッキリ綺麗な命令体系を持った
MPUと呼ばせたCPUが出てきていた
惚れ惚れするような
人間で言えば「非の打ち所の無い絶世の美人」
と言った所だろうか?
その前に
フィアチィルド社のF8と言うCPUで
マイコン・ボードを作った事が有った
このCPUは、後々、コケマクルのだが
とてもユニークな構成だった
ハードが簡単で作りやすいのが特徴で
ソフトを組むには
HP社製のコンピュータを借りたり
ハンドアセンブラでシコシコ組んだりしていた
何故かとっても昔のような気がする
で、MC6809なのだが
この頃には
富士通のFM8と言うパソコンを持っていたので
独学でのソフト学習に限界を感じて
渋谷駅近くの富士通系の教室に通った
この教室は、ソフト会社が運営していて
教育マニュアルもシッカリしていた
言語は、アセンブラだった
マイコンに添付されていたBASIC言語を使って
毎夜、ソフトを組んだ
記録媒体は、カセットテープ
夜な夜な、作ったソフトは
カセットデッキを使ってテープに記憶した
マイコンの電源を落とせば書いたソフトは消えてしまうので
この作業を鎮座するマイコンに
最初と最後に行わなければならなかった
30分も掛けてこの作業をしなければ
後にも先にも進めない
この間
ご飯を食べ、トイレに行き
風呂にも入れる時間が有った
しかし
最後の最後に
無常にも、、、、、、。
ぴーーーーーっ
と言う警告音が
画面には、 ERR! が出てお終い
再度、チャレンジしなければならなかった
雑誌では、カセットメーカーのエラー率が載っていた
BASIC言語は
簡単で初心者向き
ソフトを組んでは
動かして検証すれば出来上がる
GO TO文を多用したりして
この方法は、本当はダメなんですけど
で、毎夜、組んだBASICのソフトなのだが
有る日突然
マイコンがキーボード入力を受付なくなった
メモリオーバーが原因だった
5インチのフロッピーデスクは
その後
毎度、毎度のピーッと言う警告音に絶えかねて購入した
高かった
記憶では、12万円以上はしたかと思う
(あまりにもショックで忘れてしまた)
5インチのフロッピーデスクは
快適だった
現在
フロッピーデスクの無いパソコンが主流だ
「フロッピーデスク」などと言う言葉さい
知らない世代になってきたのかもしれない
嘆く必要もないのだが
その当時
8インチが主流
5インチのフロッピー全盛時代に入ろうとしていた
雑誌の付録にフロッピーデスクが付いてくるのは
この後になる
アセンブラも購入した
快適だった
これで
自作マイコンも動かせる
ROMライタも作った
32KBまでだったROMライタも
切り替えて64KBまで書ける様に改造した
快適だった
実は
内緒だが
仕事で
このアセンブラとロムライタを使って製品化した事があったっけ
今だかって苦情も無いところを見ると
正常に動作しているものと思っている
間違いない!?
余談が長すぎたかもしれない
それから
プリンター
音が大きかった!!
そして高かった
10万円以上はしたかもしれない
それから重かった
夜中の印刷は
特に気を使ったなぁ〜
防音ケースまで売っていたっけ
話しは
元に戻した方が良いかもしれない
その前に
もう少し、余談だが
ココまで
我慢して読んでくれたんだから
もう少しの辛抱だ
「取って置きの話」、でもないんだけど
行く先々で、クラブを作っていた
部活だ!!
学校では
アマチュア無線クラブだった
先輩のオーディオクラブを潰してね
就職すると
なぜか写真部だった
会社からクラブ費をセビリ
焼増機まで買って貰ったっけ
それから、
ある村では
スキークラブを作った
勿論
村から補助も頂いた
村のスキー部として今も残っているらしい
クラブ作りの最後は
テニスクラブだ
有志が5人
クラブ員も30人位には、なっただろうか?
6年位は続いたように記憶している
クラブ作りは
規約作りから始めていた
根が真面目な性格なだけに
規約作りも楽しかったなぁ
規約は、今でも持っていて何故か捨てられないでいる
残念な事に
マイコンクラブもパソコンクラブも作っていない
作っていれば、今ごろ ⇒⇒ ハッカー かも
話は戻って
多少
ハードの心得が有ったので
ここは一つ自分で組み立ててやろう!
と思ったのだが
自作は割高になるのでフトコロが寂しくて
とてもじゃないが手が出せなかった
それでも諦め切れずに探した機種が
その物ズバリの"自作機"だった
これは、ゲートウエイと言うアメリカのメーカーで
自作派志向のパソコン・オタクが喜びそうなスペックだった
雑誌の内容だけで買うことを決心して電話した
5月の連休には間に合いそうなので
休みの間はパソコン三昧になる筈だった
連休日の一日前には
自作機本体も届き
ソフマップから購入していた17インチのCRTに接続することになった
「面倒かも」と
覚悟していた組み立ても難なく終わり
マニュアルの良さに感激したりもしたが
印刷物のマウスの絵と送られて来たマウスと違うので
どうしたものか迷った程度で何とかなってしまった
(このマウスの違いは、後に雑誌でも話題になった。)
電源を入れ、Win 98SEのOSをインストールした
ケチは、この後から始まった
インストールはしたものの画面が
とにかく汚かった
綺麗に映る筈の画面は
とても観られたものではなかった
CRTのドライバーを入れなければ始まらないが
そのドライバーの場所が見つからない
マニュアルどおりの操作をしても
ドライバーはインストールされなかった
焦りにアセッタ
添付されていたCDの中身を覗いて
「REDME」を開いては確認するのだが
なかなか見つからなかった
ほどなく連休に突入し
家族は学校や仕事に行ってしまった
一人、パソコンに向かい
CRTドライバーを探すことになった
もちろんゲートウェイのサポートセンターに電話しているのだが
まったく繋がらない
電話が600型の旧式でダイヤル式
それも10PPS
リダイヤルなんて在る訳も無いし
「お待ちください。」があまりにも長すぎる
30分
1時間
延々と続き、プツリと切れてしまう
丸い穴に指差してグリグリ廻し続けた
この行為を一日中やっていた
私は、左利き
左の一指し指でダイヤル廻すのは、意外と難しい
受話器を持つ手が震いだし
肩が凝り眼は、うつろ
「これはたまらん!」、と考えただしたのが
受話音声を拡大してスピーカに流すことだった
これは、とっても良いアイデアだった
急場しのぎの拡声器からは
待ちうけ中のメロディーが大きく聞こえてきた
つづく
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