| 巴里レター No.35 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 巴里レター No.35 ☆ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ ◇ 2001年 夏 北欧の旅 〔9〕 ◇ 7月18日、ストックホルムです。 雨が降ったり止んだりしてたんだけど、スカンセンに行きました。 ここは、お勧めですね。 僕は船で行きました。すぐ着いちゃうんだけど。 渡し舟とか連絡船というより、「乗合い船」って感じの船ですね。 スカンセン、 かなり広い敷地に、 スウェーデン各地の、昔の民家などを集めています。 日本やフランスには、似たようなもの無いんじゃないかな。 実際に、昔の民族衣装を着た人たちがいたりして、面白いんだよね。 例えば、農家と家畜小屋で、ぐるっと庭を囲んであって、 そこにいろいろ放し飼いにしてたんだろうな、とか。 柵の作り方も変わっていて、棒を斜めに並べてるとか。 屋根の上に土が載せてあって、草が生えてるとか。 〔photo〕 あれは何なんでしょうね。その方が、冬暖かいのかな。 ムーミンの家みたいなのが、あったりして。 〔photo〕 ムーミンて、フィンランドが発祥の地なんだけど、 また、マンガで描かれた家とはゼンゼン違うと思うけど。 雰囲気がムーミンなんだよね。カワイイんですよ。 ガラス製品を作っている家とか、パン屋さんとか雑貨屋さんとか、 いろいろあるんですよ。 動物がいる区域もあって、トナカイさんもいました。 トナカイにも、種類があるみたいで、 最初に見たのは、大型のメスのトナカイで、角が無かったから、 わかんなかったんですよ。 『馬さんチームのバスケット選手の方かしら。』とか思ったりして。 馬よりも胴が短くて、足が長いんですね。 〔photo〕 でも、隣りの柵に角を持ったオスのトナカイさんがいたから、 すぐに分かったのでした。(スルドイ) 〔photo〕 ∽ ∽ ∽ この日の夕方、ヘルシンキ(フィンランド)行きのフェリーに乗りました。 ヘルシンキから、またストックホルムに帰って来るから、 『美術館とかは、その時にしよう。』 と思ったのでした。 ストックホルムからヘルシンキに行くには、 普通はフェリーを使うみたいです。 〔photo〕 大きなフェリーの会社が二つあって、シリヤ・ラインと バイキング・ラインていうんだけど、前日に切符を買いに行ったら、 シリア・ラインは満席で買えませんでした。 友人のSさんの話では、 「予約ベッドが取れない場合、 早い者勝ちの自由ベッドがあるから、 乗船が始まったら、バックパックを背負ったまま、 ダァーって走っていって、まずはそれを確保するんですよ。 取れなかった場合は、大部屋で皆でゴロ寝だから、 寝袋が必要ですね。」 ってコトだったけど、方針が変わったのかな。 で、バイキング・ラインの窓口で訊いたら、 ベッドはもうないけれど、ゴロ寝の切符ならあるっていうから、 それを買ったのでした。やっぱりシーズンなんですね。 僕が持ってたレイルパスで、少し割引になりました。 片道で2600円くらいかな。 ∽ ∽ ∽ このときのために寝袋を持って行ったんですね。 数年前、スイスに行くとき新しく買ったもので、 軽くて小さくて気にいってるんだけど、色が赤なんだよね。 落ち着いた赤なんだけど、買うときにやっぱり迷いました。 そのタイプは赤しかなくて、似たような値段で他の色だと、 もっと大きいものしかなかったのです。 『巴里だから、赤でもいいか。それに冬山で遭難したときに 目立っていいかもしれない。(冬山行かないんだけど)』 とか思って、それにしたのでした。 巴里では、男の人でも、赤い上着とか、 赤い書類カバンとか持ってたりして、それがまたオシャレなんだよね。 『だから、いいか。』って思ったんだけど、 今回は、みんなでゴロ寝でしょ。 『女の人と間違えられて、夜這いされたら困るなぁ。』 とか思ったりして。 (つづく) □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ◇ 詩のような言葉たち 〔3〕 ◇ イメージが花のかたちをして 私の知らないところを漂っている □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ◇ ルルド Lourdes 〔19〕 ◇ ☆ 1858年2月19日 (金) 4回目のAPPARITION この日は、15分ほどの比較的短いAPPARITIONでした。 マリア様からは何のメッセージもなく、 静かなAPPARITION(御出現)でした。 トランス状態に入ったベルナデットの顔は、 血の気が引いたように青白くなり、 表情は穏やかなものに変わっていました。 ベルナデットは、この日、初めて教会用のロウソクを 洞窟に持ってきました。 そして、それは3月3日の14回目のAPPARITIONまで続きます。 ロウソクを持って来て、洞窟の前で火を点けるというルルドの習慣は このときから始まったのです。 ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ なるほど、それで洞窟の前に、大きなツリー形の燭台があったり、 横の方にはロウソクの小屋が並んでいたり、 丸太みたいな大きなロウソクを、担いで来る人がいたんですね。 ☆ 1858年2月20日 (土) 5回目のAPPARITION 洞窟の前に、30人くらいの人が集まりました。 15分ほどの御祈りのあと、APPARITIONがありました。 それが終ったあと、ベルナデットはとても悲しそうな顔をしていました。 マリア様との間に、どんな会話があったのか分かりませんが、 どうも「秘密の御祈りの方法」を教えて頂いたようです。 ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ この「秘密の御祈りの方法」というのは、 いまの時点で、僕にとっては一つの謎ですね。 僕が持ってる本には、「らしい」としか書いてないから、 本当にそうだったのか、(そうだったんじゃないかな) そして、ベルナデットがそれを誰にも言わないまま、 死んでしまったのか・・・・・ どうなんでしょうねえ。 当時、ベルナデットは、フランス語の標準語を話せなくて、 この地方の方言で、マリア様と話をしていました。 (やっぱりテレパシーじゃないかな) もちろん、マリア様はベルナデットにしか見えないし、 その声は、ベルナデットにしか聞こえないんですね。 その方言というのは、僕はよく分からないのだけれど、 フランス人に訊いたところ、スペイン語に似てるとか言ってました。 地域的にピレネー山脈の麓だから、そうかもしれない。 ちなみに、ベルナデットの記念館にあった、当時の地方新聞は、 標準語で書かれていました。 (つづく) □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ 【近ごろのパリ】 5月8日は、第二次大戦の戦勝記念日でした。 それにあわせて、10日までの3日間、 エッフェル塔の隣のマルス公園で、軍事関係のエクスポジションが 開かれました。 かなりの人出でした。テーマを直訳すると「防衛との最初の出合い」。 子供たちが戦車や装甲車に乗ったりして、(動かないですよ) なごやかな雰囲気でした。兵器は、そんなになかったけど、 対戦車用の地雷やバズーカ砲の弾頭を半分に切った模型とか、 僕にはチョット解らない武器とか、いろいろですね。 フランス軍が使っているカメラは、ニコンでした。 Nikon D1(デジカメ)と、Nikon FM2が展示されていました。 どちらも望遠レンズ(ズーム? )とモータードライブが付いていて、 かなり大きなものになっていました。 ジャンダルムリィ(憲兵)のバイクは、白バイといっしょでBMWです。 排気量は1130ccだって。スピードメーターは240kmまで 切ってありました。 ポルトガル軍のバイク(ホンダ)と四駆(トヨタ)も、 展示されていました。 このときの様子は、「軍のエクスポ」というタイトルで、 フォトアルバムにUPしておきます。 2003年5月12日 Michio 追伸 巴里は、いろんなコトがありますねえ。 5月17日から約1ヵ月間、シャンゼリゼに、 TGVやSLなどの列車をいくつも展示するそうです。 行ってみたら、コンコルド広場からロン・ポワンまで、 並木の横にレールが敷いてありました。 展示用のスペースとか、列車も既に何台か準備されていました。 〔photo〕マークは、フォトアルバムに写真がUPしてあります、 という意味です。 最近、ジオシティーにも、ホームページを作ろうと思って、 HTMLタグを相手に悪戦苦闘しています。(たいへんだぁ。) フォトアルバム http://photos.yahoo.co.jp/michion2 ホームページ http://members.goo.ne.jp/home/michion2 http://www.geocities.jp/paris1830/(工事中) 巴里レター 配信の手続きは次のところでどうぞ めろんぱん http://www.melonpan.net/mag.php?002474 メルマガ天国 http://melten.com/m/9592.html PUBZINE http://www.pubzine.com/detail.asp?id=18529 まぐまぐ http://www.mag2.com/m/0000104321.htm 解除は、登録されたところでお願いします。 一筆書いて送りたいという方は、次のアドレスへ michion2@mail.goo.ne.jp じゃあ またね
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