| 巴里レター No.42 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 巴里レター No.42 ☆ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ ◇ シャガール (1887−1985) ◇ シャガール展、行ってきました。 モジリアニの時とは違って、ほとんど並んでいませんでした。 それでも10分くらい待ったかなぁ。 平日の午後という時間帯のせいか、オバさんが多かったですね。 日本人のグループも来てました。 やっぱり、女性がほとんどです。 『へえー、こんなとこまで、ガイド付きで来るんだ。』なんて 思ってしまいました。 一人の画家の絵をたくさん集めたエクスポジションに行くと、 なんとなく画家のことが、わかったような気になりますね。 今回も、今まで知らなかったシャガールの一面が、 わかったような気がしました。 ∽ ∽ ∽ 「シャガールは色彩画家である。」と、決まり文句のように 言われていますが、それはシャガールのほんの一面しか、 言い表していないと思います。 たとえば「豆腐は白い」みたいな感じでしょうか。 アンリ・ルソーもそうだけど、シャガールも絵は上手くないですね。 (僕も上手くないけど。) もっとはっきり言うと、二人ともヘタじゃないですか。 『子供の方がもっと上手く描くよ。』 みたいな絵も結構あったりして。 では、何に価値があるのかというと、 僕等は、「彼等が持っていた心を、愛しているのだ。」と思うのです。 彼等の持っていた、本当に素朴な、そして善良な心に 価値があるのだと思うのです。 では、素朴で善良な人は皆、素晴らしい絵を描くのかというと、 そんなことはないですね。 でも、シャガールやアンリ・ルソーが持っていた心とか 価値観のようなものは、本当に特異なものだったと思うのです。 普通の感覚でいったら、 『こんなヘタクソな絵は、恥かしくてとても人前には出せない。』 というような絵がたくさんあります。 そういう絵に価値があると信じることじたい、スゴイことです。 他にも、その価値を認めてくれた人がいたというのも、 またスゴイことです。 ∽ ∽ ∽ シャガールの絵は1927年のあたりで、大きく変わっています。 今回のエクスポジションに出品されたものを見ただけでは、 正確なことは言えないけれど、 『シャガールはこの頃、青い色を「発見」したんだろうなあ。』 と思いました。 もちろん、それまでにも青い色は使っているのですが、 色彩がごく普通に、画面に溶け込んでいたんですね。 それが、この頃の絵から、青い色が輝きを持ち始めるのです。 そして、次に燃えるような赤い色を「発見」して、 その関係で、白い色も「発見」したようです。 その後、これらの色を補うような形で、 黄色と緑色が同じように登場してきたと思われます。 シャガール独特の空想的なフォルムは、 わりと初期の頃から見受けられるのですが、 もし彼が色彩の輝きを「発見」しなかったら、 これほど有名になっていたかどうかは疑問ですね。 そして、その色彩の輝きも、彼の絵のスタイルによく合っています。 1923年にシャガールは、二度目の巴里滞在を始めています。 (最初の巴里滞在は1910年、絵の勉強に来ています。) このときはもう、移住するつもりで来たみたいです。 このことも、彼の「色彩の発見」に大きな影響を 与えているのでしょう。 またシャガールは、神を信仰するユダヤ人でした。 聖書の物語からとった題材で、多くの絵を描いています。 1918年頃の絵で、「APPARITION(出現)」というタイトルの 絵があって、ちょっとビックリしました。 (正確には、タイトルに定冠詞が付いているのですが、 仏語独特の記号が入るので、文字化けを恐れて省略しました。) キャンバスを前に、絵筆とパレットを持ったシャガールの後ろに、 青い天使が現れているのです。 サンクトペテルブルクから持って来たという絵でした。 今回は出品されていませんでしたが、 シャガールは、自分の背中に羽を付けた絵も描いています。 そのような絵を描いても、許される画家ですね。 また、「空を飛ぶ魚」の絵が二枚ありました。 両方とも、魚のアゴから手が出て、 ひとつはバイオリンを弾いていたり、 もうひとつは燭台をもっていたりで、 『シャガールの頭のなかは、いったいどうなっていたんだろう。』 と思ってしまいました。 そんなシャガールですが、 晩年の絵は、やはりダメになっていたようです。 ユトリロもピカソもそうですが、 「いったい何が芸術家をダメにするのか」 というテーマは、ちょっと興味がありますね。 お金なのか、名声なのか、周りの人間なのか。 そういうもの全部かもしれませんが。 ピカソに関しては、もともと「天才とナントカは紙一重」 と言われるようなところにいたのが、 最後に、とうとうその一線を踏み越えてしまったのではないか、 という気がします。 □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ◇ 詩のような言葉たち 〔10〕 ◇ ギターの音が夜の雨に滲んでいた 夏 去りゆくということを前提に やってくる季節 □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ◇ ルルド Lourdes 〔25〕 ◇ ☆ 1858年3月1日 (月) 12回目のAPPARITION 約1500人もの人が集まりました。 そして、この日初めて、群集のなかに一人の神父の姿が 見受けられました。 マリア様からは、とくに何のメッセージもありませんでした。 何かの誤解によるものと思われますが、 「ロザリオの祝福」と呼ばれるものが、人々を興奮させました。 (つづく) □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ 【近ごろのフランス】 サッカーのコンフェデ杯、決勝はフランス対カメルーン。 延長の末、1対0でフランスが勝ちました。 カメルーンは、やはりフランス語圏の国だそうです。 大会中に亡くなった、カメルーンのフォエ選手の大きな写真にも 2位のメダルが掛けられていました。 表彰式のとき、カメルーンの選手たちは皆、 フォエ選手の17番のユニフォームを着ていました。 フランスの選手もカメルーンの選手も一緒になって、 観衆の拍手に応えていました。 フォエ選手が亡くなった日、フランスはトルコと準決勝を戦い、 接戦の末、3対2で逃げ切りました。 試合後のインタビューで、フランスの監督、 サバチニがしきりに涙を拭っていました。 最初、試合に勝ったのが嬉しくて泣いているのかと思ったら、 フォエ選手のことで泣いていたのでした。 サバチニは以前、フォエ選手がリヨンのチームにいたとき、 監督を務めていたのでした。 2003年7月2日 Michio 追伸 フランスでは、イラクについて、 「アメリカ兵への攻撃が日常化していて、 平均すると、一日に一人以上のアメリカ兵が殺されている。」 と報道されています。 自衛隊をイラクに1000人も送ろうとしている人たちは、 イラクがベトナム戦争の時のように泥沼化した場合は、 どうするつもりでいるんでしょうね。 支援ではなくて、参戦になるのでしょう。 アラブ人が日本人のように、すぐに反米から親米に変わるとは 思えないですね。 将来、日本史の教科書に載るかもしれないですね。 「2003年、小泉内閣によって、 日本は再び愚かな軍国主義への道を歩き始めた。」 カナシイというより、恥しいことですよ、首相。 ∽ ∽ ∽ ついにデジカメを買いました。 日本のメーカーのものなんだけど、 説明書がフランス語で書いてある、というのがツライ。 HP本館に、キラキラ光るエッフェル塔の写真をUPしました。 HP本館 http://www.geocities.jp/paris1830/ HP別館 http://members.goo.ne.jp/home/michion2 フォトアルバム http://photos.yahoo.co.jp/michion2 巴里レター 配信の手続きは次のところでどうぞ めろんぱん http://www.melonpan.net/mag.php?002474 メルマガ天国 http://melten.com/m/9592.html PUBZINE http://www.pubzine.com/detail.asp?id=18529 まぐまぐ http://www.mag2.com/m/0000104321.htm 解除は、登録されたところでお願いします。 一筆書いて送りたいという方は、次のアドレスへ michion2@mail.goo.ne.jp じゃあ またね
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