| 巴里レター No.45 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 巴里レター No.45 ☆ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ ◇ 2001年 夏 北欧の旅 〔16〕 ◇ 7月21日、ヘルシンキからストックホルムに戻って来ました。 フェリーが着いたのが、朝の9時半です。 バスで駅に行って、そこのマクドナルドで、 ヒゲのニイさんと別れの盃を交しました。 彼は南に向かう列車に乗り、僕は昼ごろオスローに向かうのでした。 「パリに来たら、連絡してくださいね。」とか言って、 連絡先教えてあげたのだけれど、僕は旅を終えてパリに戻ったら、 お正月が終わる頃まで、ずーっと忙しくて、 あまりウチに居なかったから、連絡があったかもしれないけど、 会えなかったのでした。 旅先で知り合った人って、 『もうそれっきり、一生会えないんだろうな。』って、思いますね。 一度絵ハガキがきて、返事を書いて、それっきりというパターンが 多いような気がする。 その頃は、インターネットとか、やってなかったもんね。 でも、インターネットやるようになってから、 巴里で知り合った人に、メールアドレス教えてあげたら、 何度か日本からメールを送ってくれたけど、 いつのまにか、返事が来なくなったこともあるし。・・・ 一緒か。 ねえ、ナントカさん。 ∽ ∽ ∽ えーと、ストックホルムですが、駅のコインロッカーに バックパックを預けて、美術館に行ったと思っていたのだけれど、 いまメモ帳で確認したら、美術館に行ったのは、 7月17日の、初めてストックホルムに着いた日でした。 そうか、ホテルが国立美術館のそばだったので、 その日のうちに行ったんだ。 スウェーデンの女が、いかに美人かということに気をとられていて、 忘れてました。 で、美術館の絵なんだけど、さすがにいい絵が多かったですね。 印象派とか、レンブラントの絵とか、いろいろありました。 レンブラントの「クラウディス・キヴィリスの誓い」という大作があって (196cm×309cm)、規模からいうと、 アムステルダムにある「夜警」といい勝負なんだけど・・・ なんか間が抜けているんだよね。 晩年の作らしいんだけど、わりと一生懸命描いているんですけどね。 レンブラントは確か「光と影の画家」って言われてたと思うけど、 その光と影の処理がうまくいっていないような気もするし、 登場人物たちの表情も、いまひとつパッとしないような気もする。 だから大作のわりには、あまり有名ではないのかもしれない。 他の画家で、絵のなかの家具が、 『さすが北欧家具だな。』 って感心するようなのがあったりして。なかなかヨカッタです。ハイ。 ∽ ∽ ∽ 結局、この21日は、市庁舎の塔に登ったりしたのでした。 ストックホルムの市庁舎というと、ホラ、 やっぱりノーベル賞じゃないですか。 『そうか、将来、ノーベル賞を貰うときには、ココに来るわけだな。』 とか、密かに思ったりして。 (ひょっとしたら、ココは晩餐会だけかもしれないけど、 いいんです、コマカイことは。) 『ノーベル賞はともかく、賞金だけくれないかな。』 塔に登ると、さすがに眺めがよかったですね。 『北欧のヴェニスと言われるのも、なんとなくわかるよ。』 って感じ。 (つづく) □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ◇ 詩のような言葉たち ◇ そしてまた 負の歴史へと落ちてゆく国 □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ◇ ルルド Lourdes 〔28〕 ◇ ☆ 1858年3月25日 (木) 16回目のAPPARITION この日は、ルルドの歴史に於いて、最も重要な日とされています。 マリア様が、御自分の名を明らかにされた日です。 ∽ ∽ ∽ ベルナデットの話 約束の15日間のあいだに、私は三度、 「白い女性」に名を尋ねました。 けれど、いつも彼女は微笑むばかりでした。 私は、この日、敢えてもう一度同じ質問をしてみました。 彼女は空を見上げて、それまで地面に向けて下げていた両手を、 お祈りをするときのような形に合わせました。 そして、「JE SUIS L’IMMACULEE CONCEPTION.」 と言ったのです。 彼女は、青い瞳をしていました。 15日間のあいだに、私は彼女から、 3つの秘密を教えてもらいました。 それは、誰にも言ってはならないものです。 私は、今でもその約束を守っています。 私は、Peyramale主任司祭の家に行って、 「白い女性」の名を告げました。 主任司祭は、「確かにそう言ったのか。」と言われました。 私は、 「ここに来る途中、忘れないように、 その言葉を繰り返してきたので、間違いありません。」 と答えました。 ∽ ∽ ∽ 主任司祭は動揺し、すぐにタルベの司教に手紙を書きました。 ベルナデットの素朴で謙虚な様子から、彼は確信したのです。 彼は、「白い女性」が言った言葉の意味を、 ベルナデットが全く理解していない、という事実に打たれました。 「私は、無垢な受胎をした者です。」という言葉は、 マリア様以外には、言えない言葉だったのです。 ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ まえにも書いたけれど、ベルナデットは当時、標準語が話せなくて、 この地方の方言でマリア様と話をしていました。 この日、マリア様が実際におっしゃった言葉は、 「QUE SOY ERA IMMACULADA COUNCEPCIOU」 というものでした。 これをフランス語の標準語に直すと、 「JE SUIS L’IMMACULEE CONCEPTION.」 となるそうです。 日本の教会では、IMMACULEE CONCEPTIONを 「無原罪の御宿り」と訳しているようです。 (つづく) □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ 【 巴里のマリア様 】 あまり知られていないと思うけれど、 じつは巴里にも、マリア様が現れたという教会があります。 ルルドよりも古い1830年の御出現です。 僕も、去年、ルルドから帰ってきて、初めて知ったのですが。 観光客は、めったに来ないような、 本当に信仰の場となっているところです。 先日、その教会にデジカメを持っていって、 マリア像の写真を撮ろうとしていたら、 近くにいたオバさんが話しかけてきたので、 「写真はダメですよ。」とか、 「フラッシュは、いけませんよ。」とか、言われるのかなと思ったら、 な〜んと、 「そこにある椅子は、マリアさまがお掛けになった椅子ですよ。」 って言うから、僕は、 『ひえ 〜。』って思いながら、 「そ、そうですか。」って、答えたのでした。 『そうだったのか。・・・ マリア様が修道女の前に現れたとき、 椅子に掛けていたという話だったけど、 この椅子がそうだったのか!』と、感動してしまいました。 もちろん、その椅子の写真も撮って、 『マリア様が写っていたら、どうしよう・・・』 とか思ったんだけど、写っていませんでした。 HP本館に、「巴里のマリア様」という欄を作って、 その椅子の写真もUPしておきます。 2003年7月23日 Michio 追伸 前回の「ルルド〔27〕」で、 1858年3月4日 (火) って書いたけど、 僕の計算によると、この日は、たぶん木曜日です。スンマセン。 最近、ボケてますな。ハッ、ハッ、ハッ。(と笑ってゴマカス。) 去年の夏もやってましたが、今年もセーヌ川の岸に、 ビーチを作ったみたいです。「Paris Plage」といいます。 長さが3km、もって来た砂が3000トンだって。 8月17日まで続くそうです。 去年の「Paris Plage」が、だいぶ評判がよかったので、 今年はトゥルーズでも、小規模ながら似たようなコトを やるみたいです。ベルリンでもやるとか。 HP本館を作ってから、HP別館の方は、 たまに日記をつけるくらいで、ほとんど更新していなかったのですが、 最近、写真を2枚か3枚UPできるというコトがわかったので、 巴里の写真と、「はむっち」というハムスターの写真を、 UPすることにしました。 「はむっち」の飼主は、僕じゃないんだけどさ。 HP本館 http://www.geocities.jp/paris1830/ HP別館 http://members.goo.ne.jp/home/michion2 フォトアルバム http://photos.yahoo.co.jp/michion2 巴里レター 配信の手続きは次のところでどうぞ めろんぱん http://www.melonpan.net/mag.php?002474 メルマガ天国 http://melten.com/m/9592.html PUBZINE http://www.pubzine.com/detail.asp?id=18529 まぐまぐ http://www.mag2.com/m/0000104321.htm 解除は、登録されたところでお願いします。 一筆書いて送りたいという方は、次のアドレスへ michion2@mail.goo.ne.jp じゃあ またね
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