| 巴里レター No.48 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 巴里レター No.48 ☆ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ ◇ 2001年 夏 北欧の旅 〔19〕 ◇ フィヨルドの観光船の上では、薄手のセーターを着てました。 涼しいんだもんなぁ。どうしてこんなに涼しいのか、よく解らない。 標高が高いのかなぁ。水は流れているようには見えなかったけど。 途中で雨がパラついたりして、ヤッケも着たもんね。 薄手のセーターとヤッケは必需品です。 岸には、小さな村がいくつかありました。 人口が数十人とか、説明があったりして。 陸路で他へ繋がっているわけではなさそうです。 観光船も、そのような村に寄って行きます。 観光客は誰も降りないんだけど、 村人とか村の必需品とか降ろすみたいです。 フィヨルドのことを、リアス式海岸みたいなモノだろう、 とか思ってる人もいると思うけど、僕も行ってみるまで そう思っていたんだけど、ゼンゼン違いますね。 ていうか、リアス式海岸て、よく知らないんだけど。(フニャフニャ) こう暑いと、フィヨルドが懐かしいぜ。(まったく) 船から降りたところも、ホントに小さな村でした。 そこから鉄道の駅まで、今度はバスでした。 すっごい坂道、Zを縦に並べたような坂で、 『え〜、ホントに、こんなところ、バスが登れるの〜。』 というような坂を、ゆっくりゆっくり登っていったのでした。 上まで行くと、ちょっと休憩。お土産屋さんみたいなのがあって、 バスがいくつも停まってました。下を見下ろすことができて、 『登ってきたぜ。フッ、フッ、フッ。』て感じ。 駅からベルゲン行きの列車に乗りました。 皆さんワンパターンですね。 僕は、その日の夜行で、オスロに帰るつもりだったから、 ベルゲンは、ちょこちょこっと見ただけです。 そんなに大きな街でもないし。 中国人さんと、夕食を食べようというコトになって、 インフォメーションで、あまり高くないお店を教えてもらいました。 インフォメーションのお姉さんの話では、 2000円位からあるというコトだったので、 『そのくらいだったら、イイかな。』と思って行ってみたら、 な〜んと、一番安い前菜が一品2000円位だったのでした。 港の近くで、雰囲気はカジュアルな感じだったんですけどねぇ。 でも大きな水槽に、料理で使うような魚が泳いでいたから、 やっぱり高いお店だったのでしょう。 その近くにあった中華の店はどうか、 と中国人さんに提案してみたのですが、 彼は彼なりに、中華料理にはコダワリがあるみたいで、 メニューと値段を見比べて、首を横に振っていました。 僕もまぁ、ヘンな日本料理を、高い値段で食べるのはイヤだから、 気持ちはワカルけど。 で、ウロウロしたんだけど、どこも高いし、意見が合わないので、 結局、夕食は別々に食べるコトになったのでした。 僕は、港の近くのファストフードみたいな店を覘いてみたら、 エビのサンドイッチがあったので、それにしたのでした。 細長いパンを二つに割って、ピンクの小さなエビを 沢山挟んであって、美味し〜い。 他では、食べたことのないサンドイッチでした。 コンビ二みたいな店で、500ccのミネラルウォーターを買ったら、 500円くらいだった! 高過ぎる! 巴里の空港の売店でも、その半額くらいだぜ。 だから北欧は、物価が高いって言われるんだ。(ブツブツブツ) 中国人さんも、同じ夜行でオスロに帰るということで、 列車に乗るときに会ったけど、車両が違っていたので、 それっきりだったかな。 自分のコンパートメントに行ってみたら、 他の中国人の若い人と同室でした。 『な〜んか、予約入れるときに、アジア系はアジア系で 同じ部屋にしてるんじゃないの。』って疑っちゃうよね。 でも、その方が気が楽で、ゆっくり眠れるような気がする。 (つづく) □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ◇ 詩のような言葉たち 〔16〕 ◇ 影が人に似るように 時は過去に似ている □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ◇ ルルド Lourdes 〔31〕 ◇ 1858年7月に、APPARITIONが終った後も、 ベルナデットの一家は、経済的にあまり恵まれなかったようです。 1863年、Peyramale主任司祭が、 当時、ルルドの町長の持ち物であった粉引き場の付いた家を、 一家のために借りてくれました。 この家は、1867年に、タルベの司教によって、 一家に与えられます。 ベルナデットは、1860年にルルドのホスピスに入ります。 このホスピスは、本当に貧しい家庭の子供たちや老人のための 救済院でした。 ベルナデットも、そのような子供の一人として、このホスピスで いろいろなことを学びます。 そして、1866年、22才のときに、NEVERS(ヌヴェール)の Saint−Gildard修道院に移ります。 NEVERSは、巴里から200kmほど南に下った、 ロワール河流域の町です。ロワール河流域といっても、 お城巡りの観光バスが行くような地域ではなくて、もっと上流です。 翌1867年、ベルナデットは修道女となり、 病人を看護する仕事を始めます。 そして、1879年4月16日、35才で亡くなるまでの13年間を この地で過ごしました。 死因は、結核によるものでした。 ∽ ∽ ∽ ベルナデットは、他の修道女に、 「神様は、私達を道具のようにお使いになるのよ。 マリア様は、私を、例えば箒を使うように、お使いになったのよ。」 と話していたそうですが、その認識はおそらく正しいものでしょう。 僕も、神様に使って頂けるのなら、一本の釘でもいいと、 理性では思っているのですが、前にも書いたように、 持っているのは理性だけではないので・・・ 難しいところです。 ∽ ∽ ∽ ベルナデットも、わがまま、短気、頑固というような 人間的な欠点を持っていて、本人もそれを自覚していたようです。 ベルナデットの遺体は、1909年、1919年、1925年と 三度発掘されましたが、腐敗していなかったので、 いまはNEVERSのSaint−Gildard修道院の礼拝堂に 安置されているそうです。 1933年12月8日、聖人の列に加えられました。 ∽ ∽ ∽ ちなみに、巴里レターNo.45に書いた、 巴里の教会で、マリア様の御出現に会ったという Catherine LABOUREの遺体も腐敗せずに、 教会に安置されています。 彼女は、1947年7月21日に、聖人の列に加えられました。 (つづく) □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ 【近ごろのフランス】 知ってる人も多いと思うけど、フランスでは、 暑さによる死者が、3000人を超えたとか。 (5000人という説もある!) ホントに凄かった。巴里の普通の家庭には、冷房はおろか、 扇風機も無いから(ウチにもない、・・・ウチワもない)、 外に居ても部屋に居ても、サウナ状態でした。 夜中に、パソコンに向かっていても、 汗がダラダラと、背中を流れていたもんね。 やたら水を飲んだぜ。 フランスは、スペインとかイタリアと違って、暑さに対して 免疫ができてないというか、対策ができてないというか・・・ 病院でも、冷房のないところが多いとか、 医者がバカンスで少なかったとか・・・ タイヘンだぁ。 こちらは土葬だから、巴里の墓地では、 埋葬が間に合わないなんて、ニュースになってました。 8月15日は、ASSOMPTIONといって、 聖母被昇天の祝日でした。 毎年この日は、ルルドのことがニュースに登場します。 今年も、3万人集まったとか。 ルルドでは、猛暑による死者は出なかったみたいです。(エライ) あれだけたくさんの年寄りとか、身体の悪い人たちが 集まって来るのにねぇ・・・ ピレネーの麓で、ある程度標高があるから、少し涼しいのかな。 大きな病院もあるし、ボランティアの数もスゴイみたいです。 27000人収容の、バチカンに次ぐ規模の教会堂に 冷房設備が付いていて、お年寄りなどはそこに避難して、 ボランティアの人達から水を貰っていたみたいです。 これからは、冬を生き延びるだけじゃなくて、 夏も生き延びないといけないよね。 2003年8月18日 Michio 追伸 北朝鮮の問題ですが、 結局大きな役割を果たしているのは、中国やロシアや韓国で、 日本は何をしていたのかというと、アメリカの袖を掴んで、 北朝鮮の悪口を言っていただけじゃないですか。 21世紀も、日本は村社会かぁ。 若い人たちに期待したいところだけど、なんだかなぁ・・・ 首相の靖国神社参拝のことにしても、 それがどれだけ外交的にマイナスになっているか、 わかっていないんでしょうね。 HP本館に「街」という欄を作りました。 HP本館 http://www.geocities.jp/paris1830/ HP別館 http://members.goo.ne.jp/home/michion2 フォトアルバム http://photos.yahoo.co.jp/michion2 巴里レター 配信の手続きは次のところでどうぞ めろんぱん http://www.melonpan.net/mag.php?002474 メルマガ天国 http://melten.com/m/9592.html PUBZINE http://www.pubzine.com/detail.asp?id=18529 まぐまぐ http://www.mag2.com/m/0000104321.htm 解除は、登録されたところでお願いします。 一筆書いて送りたいという方は、次のアドレスへ michion2@mail.goo.ne.jp じゃあ またね
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