巴里レター No.49

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       ☆ 巴里レター No.49 ☆

 
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     ◇ 2001年 夏 北欧の旅 〔20〕 ◇

 7月23日です。夜行で、ベルゲンからオスロに戻って来ました。
 とりあえず例のドミトリーに、泊まるところを確保しました。

 北欧の都市って、どこもマトモなんだけど、
 オスロはちょっとヘンですね。(巴里とかベルリンには負けるけど。)
 なんてったって、あのムンクを生んだ国の首都ですからねえ。

 ということで、ムンク美術館に行きました。
 僕は美術館に行くと、必ずポストカードを何枚か買うんだけど、
 このときだけは、一枚も買わなかったですね。

 作品は、かなり揃っていました。
 知らないような絵も、結構あったりして。
 でも、ちょっとビックリしたんだけど、
 ムンクは、巴里で絵の勉強をしていたんだって。
 それも、モンパルナスのあたりで。 『へぇ〜。』だよね。
 ただのヘンな画家じゃなかったんだ。

 大きな壁画みたいな作品もあって、これも意外でしたね。
 そういう作品て、画家として成功して、注文を受けなければ
 なかなか描けるようなモノじゃないから。

 『そうか。ムンクって、画家として成功していたのか。』
 って思ってしまいました。
 もちろんオリジナリティーとか、面白さというか、妖しさというか、
 そういうものは認めますけどね。
 でも、ポスターを買ってきて部屋に飾りたいとか、
 そーゆー種類の絵じゃないよね。
 あまり長い時間鑑賞していたくないような・・・

 国立美術館にも行きました。
 セザンヌの静物画やモジリアニの作品があったりして、
 なかなかヨカッタんだけど、気がついたことがあります。
 ノルウェーの画家って、ムンクを意識したような絵を
 結構描いてるんだよね。『う〜ん。』ていう感じの絵を。

 考えてみたら、北欧って、ムンク以外に、世界的になった画家を
 ほとんど出していないような気がする。
 だから、みんな、
 『ムンクみたいな絵を描いたら、世界的になれるかもしれない。』
 って思ったのかな。 ・・・うん、きっとそうだ。

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 フログネル公園にも行きました。
 大きな公園で、グスタヴ・ヴィーゲランという人が作った彫刻が
 やたら多いんですよ。大作も、いくつかあったりして。
 『ホントに、これ全部、自分で作ったのかな。』とか、
 『弟子も、何人かいたんだろうな。』とか、
 『ノルウェーでは、きっと有名なんだろうな。』とか思ったけど、
 『世界的になるには、いまひとつ何か足りないかな。』
 とか思ってしまいました。
 
 高さ17m、260トンの花崗岩に121体の老若男女を
 刻んだという作品がメインなんだけど、
 『これって、男性のシンボルじゃないの。』って感じ。
 女性のシンボルみたいな、大きな作品もあったし。
 作者が説明を拒否しているというのが、ゼッタイ怪しい。
 と、言葉で説明しても、よく分からないだろうから、
 写真を、フォトアルバムの「北欧2」にUPしておきます。

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 港の方にも、行きました。
 穏やかな日で、のんびりしてて、ヨカッタ。

                         (つづく)

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       ◇  詩のような言葉たち 〔17〕 ◇  


          教会の時計の白い文字盤の上で
          かすんでいる数本の黒い針

          おそらく私にとって
          何の意味もない時刻

          あるいは私の運命の上に
          記されている時間



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    ◇ ルルド Lourdes 〔32〕 ◇

 ルルドのメディカルセンターのようなところには、
 6800を超える回復の記録があるそうですが、
 教会が奇跡として公式に認めているのは、66件だけです。
 それだけ審査が厳しいのでしょう。
 
 66番目の奇跡を受けたのは、最初にもちょっと書きましたが、
 Jean−Pierre BERYさんです。

 BERYさんは、1936年生まれ。妻と2人の子供がいて、
 看護士として働いていました。
 1972年に、進行性の硬化症が発病します。
 僕は、医学的なことはよく解らないのですが、
 中枢神経に関係した病気のようです。

 1984年には、歩くのに杖が必要になり、仕事を辞めています。
 1985年2月から車椅子を使い始め、
 1986年4月には、立っていることが出来なくなりました。
 1987年6月、最も重い障害を持つ者の一人として認定されました。
 1987年9月、車椅子に座り続けることもできなくなり、
          ほとんど寝たきりの状態になります。

 1987年10月5日、他の人たちと共にルルドの巡礼に出かけます。
 この日は、朝から喜びに満ちていたそうです。

 奇跡を受けたのは、滞在最終日の10月9日でした。
 車輪の付いた担架で運ばれて、午前のミサに参加します。
 小春日和の穏やかな日だったそうです。

    ∽     ∽     ∽

 BERYさんの話

 私たちは、ミサのあと、広場で行われたセレモニーに参列しました。
 私には、神様が私の弱さと罪を赦してくださるように思われました。
 その赦しは、愛と優しさに満ちたものでした。
 私がこのとき感じた気持ちも、この赦しのことも、
 言葉ではうまく説明できません。

 その後、ホールに入ってしばらくすると、寒気を感じました。
 穏やかな日和だったのですが、上着を掛けてもらいました。
 それでも、次第に寒気が全身に回ってきたように感じたので、
 毛布を掛けてもらいました。
 寒気が治まらないので、湯たんぽを入れてもらいました。

 やがて寒気が引いてゆき、今度は温かいものが足もとから
 上ってきて全身に回りました。
 それはだんだん熱くなってきて、やがて耐え難いほどになったので、
 私は反射的に毛布を足もとの方へのけて、
 湯たんぽを横に置きました。
 そしてベッドから起きて、そこに座りました。

 この一連の動作が簡単にできたことに、私は驚いてしまいました。
 私には、セレモニーのときに小さな本を持つことさえ、
 容易なことではなかったのです。

 私は、いま起こったことを理解しようとしました。
 そして、二日前に看護の女性から言われたことを思い出しました。
 「心配しないで、信じるのですよ。
  マリア様が、全ていいようにしてくださいますよ。」
 
 私は混乱しました。
 立ち上がりたいと思いましたが、
 それを実行に移すだけの勇気はありませんでした。
 『どうして私なのだろう。他のもっと重い障害を持った人ではなくて、
  どうして私なのだろう。』と思いました。
 結局、このときは誰にも話しませんでした。

 もう一度広場で行われるミサのために、
 付き添いの人たちが迎えに来てくれました。
 私は、「担架ではなくて、車椅子で行けます。」と言ったのですが、
 きびしい規則があって、それに従うほかありませんでした。

 その夜、誰かが私に触れたような気がして、目が覚めました。
 看護の女性が、何か掛けてくれたのだろうと思ったのですが、
 誰もいませんでした。
 ちょうど三時の鐘が鳴りました。
 
 私は目が覚めてしまったので、
 今回の巡礼のことを考えてみました。
 そのとき、全く思いもよらない、命令のような、
 或いは招くような声が、私の思考のなかに入ってきたのです。
 『立ちなさい。そして、歩きなさい。』と。

 私は、これは妄想のようなものだと思いました。
 こんな真夜中に立ち上がろうとするなんて。
 私は、そんなことはしたくなかったのです。

 私は、この考えを振り払うように、寝返りをうちました。
 目を閉じて眠ろうとしました。
 しかし、眠れませんでした。
 声が、また聞こえてきたのです。最初よりも、もっと強く。

 私は、何度も寝返りをうちました。
 声は、次第にはっきりしたものになってきました。
 その言葉を、実際に聞いたわけではありません。
 まるで、誰かが言葉をしゃべらないで、
 私に話しかけているような感じでした。
 『さあ、起きて。時が来たのですよ。歩きなさい。』と。

 付き添いの女性が、私が寝返りをうち続けるのを聞いて、
 来てくれました。
 「なにか必要なものがありますか。」と、訊いてくれたので、
 私は、起きたいと答えました。
 そして、トイレに行きたいと付け加えました。
 何か理由が必要だと思ったのです。

 足の機能を呼びさますために、
 ちょっと部屋を歩いてみたいなんて、言えませんでした。
 そんなことを言ったら、彼女はきっと、
 私の頭がおかしくなったと思ったでしょう。

 彼女は、車椅子を持ってきてくれました。
 でも、私は自分の足で立って行くと言いました。
 彼女は、
 「そんなことをしたら、二人とも転んでしまいますよ。
  担架の係りの人を呼びますから、少し待ってください。」
 と言いました。
 
 私が、どうしてもと言い張ったったので、彼女は許してくれました。
 そして、彼女の手を借りただけで、
 私は最初の一歩を踏み出したのです。
 歩き始めた子供のように、よろめきながら。
 
 長い間機能していなかったにも拘らず、
 両足がしかっりしていることを感じました。
 私は、目が覚めているのに、まるで夢の中にいるようでした。
 とても現実のこととは思えなかったのです。
 その一方で、自分に起こったことが、はっきりとわかっていました。

 この付き添いの女性は、後に、
 「もし、あなたの身体の状態をよく知っていたら、
  立ち上がるなんて、けっして許さなかったでしょう。」
 と、話してくれました。

 私は、問題もなく、トイレに行って戻って来ることができました。
 
 ベッドに入って、一人になってから、
 自分に起こったことを考えました。
 ミサのこと、寒かったこと、熱かったこと、
 夜なかに起こったことなど、一連のことを繰り返し考えました。
 全てのことが、私を混乱させました。
 そのあとは、結局、朝まで眠れませんでした。

 妻や子供たちとの間に起きたことも、とても言葉にはできません。
 私に言えるのは、神様とマリア様に、どんなに感謝しても、
 感謝しきれないということです。
 
    ∽     ∽     ∽

 このような話を読むと、
 『自分は、普通に歩けるだけでも、幸福なんだな。』
 と思ってしまいますね。
  
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 【 近ごろのパリ 】

 やっぱり、世界陸上大会のことでしょうか。
 会場は、巴里のすぐ北、サッカーのコンフェデ杯も行われた
 サン・ドニのスタジアムです。

 シャンゼリゼには、幟のような旗のようなものが立ち並んでいます。
 トヨタとTDKが、公式スポンサーになっているみたいです。

 日本人会に行ったら、「マラソン応援MAP」が積んでありました。
 きれいな印刷物で、これはTBSが作ったみたいです。
 コースと「お勧めの応援ポイント」、「選手通過予想時刻」まで
 載ってます。日本人選手の紹介もありました。

 それを見ると、スタート地点はパリ市庁舎。
 パリ・マラソンと違って、主に観光名所を回るみたいです。
 オペラ座の前は、2度通るとか、
 市庁舎の辺りでは、選手を3回応援できます、って書いてある。 
 ゴールは、もちろんサン・ドニのスタジアム。

 「お勧めの応援ポイント5ヵ所」、先着5000名に、
 オリジナルキーホルダー付き日の丸をプレゼント、
 って書いてある。・・・ な〜るほど。

 行こうかな。 でも、ちょっと恥しいな。
 僕って、意外とハニカミヤさんだから・・・

            2003年8月26日   Michio

 追伸

 ルルドは、とりあえず今回でオシマイです。
 不思議なところなので、また行ってみたいと思っています。
 (ルルドについて、書きたいことが出てきたら、また書きます。)

 このあと、巴里の教会に現れたマリア様のことを、
 数回に渡って書くつもりだったのですが、
 しばらく置いておこうと思います。
 
 「ルルド」も、イイというメールをくれたのは、クリスチャンの人とか、
 実際にルルドに行ったことのある人だけだったし。
 (まあ、そんなものでしょう。)

     ∽     ∽     ∽

 HP本館に、「その日の気分で」、写真をUPしているのですが、
 お褒めのメールをいただきました。 メルシーです。

 HP本館   http://www.geocities.jp/paris1830/
 HP別館   http://members.goo.ne.jp/home/michion2
          
 フォトアルバム  http://photos.yahoo.co.jp/michion2

 巴里レター 配信の手続きは次のところでどうぞ

 めろんぱん    http://www.melonpan.net/mag.php?002474
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 まぐまぐ     http://www.mag2.com/m/0000104321.htm

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                      じゃあ またね
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