| 巴里レター No.58 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 巴里レター No.58 ☆ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ ◇ 1987年 夏 〔2〕 ◇ なんとか這うようにして、次のサービスエリアまで辿り着き、 (これがあんまり遠くなかったのが幸いでした) そして、そこにいたオニイちゃんに、 「じつはコレコレこうなんだ。」と説明したのですが、 ナント、英語も仏語も通じないのです。 『なんなんだ、この国は。』と思いながら、身ぶり手ぶりと、 英語と仏語と日本語を交えながら、必死になって説明したのでした。 オニイちゃんも、僕がひと言も理解できないドイツ語で、 ナンダカンダと一生懸命話してくれます。 親切な人です。 そして、ようやく状況が理解できたらしく、 レッカー車で曳いてゆくマネをするのです。 『もうダメダ。』 そう思いました。 待っているあいだに、いろんなコトが頭のなかを駈けめぐります。 『土曜日だし、ガレージは、もう閉まってるだろうなぁ。』 (フランスでは、修理工場のことをガレージというのです。) 『だいたい、ドイツに、プジォーのガレージなんか、あるかなぁ。』 (僕の車はプジォーなのです。) 『修理にどれくらい掛かるかなぁ。』 (フランスでは、すぐ修理が済むなどというコトは絶対にないのです。) 『ラジエター交換するとなると、高くつくやろなぁ。 バカンス代がとんじゃうなぁ。 それどころか、破産するんじゃないだろか。』 『最悪の場合は、車を置いて、一度パリに帰って、 また取りにくる、なんてコトになるんじゃないだろか。』 などと、いろいろ考えていたのです。 ようやく、パトロールの黄色い車がまわってきたのですが、 そこでまた、「じつはコレコレこうなんだ。」と、 身ぶり手ぶりで、話さなければならなかったのです。 でも、その人はなかなかブッキラボウな人で、 「ウォーター、ウォーター。」と言うばかり。 こっちはもう半分泣きそうになって、 「だから、そのウォーターがすぐカラッポになってしまうのですよ。」と、 英語と仏語と日本語で説明するのですが、 相手は、「ウォーター、ウォーター。」と言うばかり。 『もうダメダ。』と思ったところに、英語の話せるドライバーの人が 間に入ってくれて、なんとか通訳してくれたのでした。 その人が言うには、 「水が無くなったら、また注ぎ足して走る。」ということでした。 『なんと単純な、オソロシイことを言うのダ。』と思っていると、 二人とも、これで一件落着といった感じで、引きあげてゆくのです。 「チョ、チョット待ってください。」と追いすがると、 「フランクフルトぐらいなら、それで行けるだろう。」とか言うのです。 僕が、「いえ、もうパリに帰ります。」と言うと、 「ああ、そうか。」と言って、帰ってしまいました。 僕は、約3秒くらい、ア然としていたのですが、 「イカン、イカン、日が暮れたら、何が出るかワカラナイ。」 と気をとりなおして、ポリタンクにも水を満タンして、 再び国境をめざして出発したのでした。 ∽ ∽ ∽ 「行きはヨイヨイ。帰りはコワイ。」というのは、このことです。 その遠いこと、遠いこと。 「いやぁ、ドイツはいいなぁ。」などとは言っていられません。 『道は、果たしてこれでイイのだろうか。』 『赤いランプよ、点かないでおくれ。』などと思いながら、 ようやく国境にたどり着いたときの、嬉しかったこと。 『ああ、これでなんとか言葉だけは通じる。』と、 思わず神に感謝しました。(仏語がペラペラなワケではないのですが) 国境の係官は、パスポートと滞在許可証の表紙を見ただけで、 ほとんどフリーパスでした。 ドイツに入るときの方がキビシかった。 「そんなことだから、テロリストにやられるんだ。」などと、 ブツブツ言いながら、ともかくストラスブールに入りました。 『いっそ、このまま巴里まで帰ろうか。』と思ったのですが、 『せっかく、ここまで来たのだし、 ひょっとしたら、ここで修理できるかもしれないし、 そしたらまた、スイスに向けて出発できるな。』などと思いました。 『それにワリと有名な街だから、ナンカあるだろう。』 一日観光するのもワルクないということで、ホテルをとりました。 ちょっと高かったけど。(日本円で五千円くらいですが・・・・・ 今考えると安いですね。 当時は、物価が安かったのでしょう。) 窓が四つくらいあって、それを開けると、運河の向こうに カテドラルが見えました。 『ヨイ。ヨイ。』 ∽ ∽ ∽ 宿のニイちゃんに、 「じつは、コレコレこういうワケなので、 プジォーのガレージに電話をしてください。」と言うと、 わりと面白がって、TELしてくれました。 そして、電話の向こうと、ナンダカンダ話していたのですが、 結局、バカンスで人がいないからダメだって。 ・・・・・ 言うと思ったんだ。きっと、そういう答えが返ってくるだろうと 思っていたんですよ。私は。 まったく、ネコも杓子もバカンス取りやがって、コノヤロー。 そんなコトだから、フランスの経済はナンダカンダと ブツブツ言いながら、とにかくシャワーを浴びたのでした。 (つづく) 〈 現在の筆者による注 〉 このときの車は、レンタカーじゃなくて、 日本に帰国した人から買った中古車でした。 プジォー305という箱型の車です。 当時は、車のことをあまり知らなかったんですね。 定期点検のコトとか、知らなかったもんね。 □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ◇ 詩のような言葉たち 〔26〕 ◇ 人間の歴史の残酷さは 記録として残っている 優しさは 物語として残っている □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ ∞ □ 【近ごろのパリ】 例の「伝説のワインバー」、行ってきました。 3回くらい行ったんだけど、いつも閉まってたんだよね。 日曜日に閉まってるっていうのは、ワカルというか許せるよ。 フランスだから。 でも、夜7時に閉まってるというのは、ちょっとヒドイんじゃないかい。 ということで、夕方6時頃に行きました。 『おお、開いてるじゃん。』 小さな店で、テーブル席もいくつかあるんだけど、 座ってる人は誰もいません。 カウンターに、男ばっかり、10人くらいが立ち飲みしてます。 『こーゆー店も珍しい・・・・・ちょっと入りニクイ。』と思ったんだけど、 美味い酒の誘惑には、勝てないからねぇ。 『オレって、場違いだよなぁ。』と思いながら、入ってゆくと、 カウンターで飲んでた人から、すぐに声が掛かりました。 『こーゆー人も珍しい・・・・・ワケわかんないけど。』 ボジョレー・ヌヴォーを、小さなグラスで一杯。 飲んでみたら、最初、『ん?』と思うような軽い酸味がありました。 でも、安いワインにあるようなイヤラシイ酸味じゃないんだよね。 新酒ですよ、という感じのみずみずしい(?)酸味です。 味は、『おっ。』と思うようなものでした。 そして、『ああ、そうか。』と、納得してしまいました。 ナニが『ああ、そうか。』なのかというと、 『ワイン造っている人たちは、こーゆーモノを飲めるんだな。』 っていう意味です。 自然な味なんですね。 『へんに、何か混ぜたりしていないんだろうな。』って感じ。 『なるほどねえ、こーゆーワインもあるんだ。』 ボジョレーの王とかいう人が、テレビで言ってましたね。 「日本人は、フルーティーな味を好むのです。」って。 『だから、あの人のブランドは、ちょっと違うんだろうな。』って思うけど。 ボトルで取ったら16ユーロで、お持ち帰りは8ユーロだというので、 2本お持ち帰りしました。 ボトルに、ラベルが貼ってないんだよね。 上のほうに、小さな白い紙が貼ってあって、 そこに必要最小限のことが書いてあります。 栓も、自分でしたような、コルクの栓がハマッているだけだし。 『イイねえ。』 『観光客の人は、入って来ないだろうなぁ。』って雰囲気の店です。 でも、客の大半はホワイトカラーの人で、 ワインが好きで、仕事の帰りに一杯やってるっていう感じです。 巴里は、こーゆーところがあるから、面白いよねぇ。 2003年12月21日 Michio 追伸 今回の「詩のような言葉たち」、後からよく考えたら、 『そうでもないか。』って思ったんだけど、 『まあ、いいか。』と、思ったのでした。 モンパルナスの駅前に、仮設のスケートリンクができていました。 そんなに大したものじゃないんだけど、でも楽しそうです。 お持ち帰りしたボジョレー・ヌヴォーの写真を、 HP本館の「その日の気分で」の欄に、UPしておきます。 (数日後に削除します。) JOYEUX NOEL.(メリー クリスマス) HP本館 http://www.geocities.jp/paris1830/ HP別館 http://members.goo.ne.jp/home/michion2 フォトアルバム http://photos.yahoo.co.jp/michion2 巴里レター 配信の手続きは次のところでどうぞ めろんぱん http://www.melonpan.net/mag.php?002474 メルマガ天国 http://melten.com/m/9592.html まぐまぐ http://www.mag2.com/m/0000104321.htm 解除は、登録されたところでお願いします。 一筆書いて送りたいという方は、次のアドレスへ michion2@mail.goo.ne.jp じゃあ またね
|